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国体

国体です①

今、山口県は「山口国体」真っ盛り。

下関は、乗馬、ボーリングなどの会場になっていて、
市内のあちらこちらで、見慣れない服装の方々を
みかけます。

国体といえば…。

すっごく古い話しで恐縮ですが…。
今から数十年前の高校3年の時、「長野国体」に
走り高跳びで出場しました。

当時の大会標準記録は155センチ。
私の記録は160センチでしたから、ギリギリ合格
ラインだったんですけどね。(^-^;

それが、大会の2か月前、原因不明の高熱で出て
入院しまして…。

40度以上の高熱が2週間続き、どんなに調べても
原因がわからない。
頭をハンマーで叩かれるような激痛が続き、ぷり
ぷりだった私の体はみるみるやせ細り…。

それで、最後の手段で、脊髄をどうにか、こうにか
する検査をすることになったそうです。

後で知ったのですが、この検査は一歩間違えると
半身不随になるかもしれない…というリスクを
伴っていたそうですが、このまま熱が下がらなけ
れば、確実に脳が破壊される…ということで、両親
はやむなく検査に同意したそうです。

そして、その危ない検査をする日の朝。

父がうとうとしていると、どこからか声が聞こえた
そうです。
「もう、熱でませんよ~」

ハッとして目を覚ました父は、「空耳か…」とまた
うとうとしていると、また聞こえたそうです。
「もう、熱でませんよ~」

そして、その日以来、私の熱はピタっと治まり、
原因不明のまま、私は回復し、退院しました。

2週間で8キロ減った私の体重は、3日でもとに
戻り、人間って、3日で8キロ太れるんだ…と、
妙な感慨にひたったものです。

そして、何とか参加することができた長野国体。

成績は、見事、予選落ち。
でも、仲間達と参加できた国体は、私にとって
大切な、大切な思い出となりました。

(追伸)
私たちの宿舎は、美ケ原温泉。
温泉街をウロウロしていると、向こうから見覚えの
ある顔が…。
日本マラソン界の牽引者、宗選手。
思わず駆け寄って言いました。
「ソウさんですか」
「はい、ソウです」

「はい、ソウです」
それが可笑しくて、可笑しくて、キャーキャーと
叫びながら宿舎に走って帰りましたが、果たして
兄だったのか、弟だったのか、今となっては永遠
の謎です。

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ケケラ ケラ

高校1年の頃。陸上部の全員集合写真。さて、私はどこでしょう。
長府高校 陸上部

古めかしい写真。
こういう写真を、セピア色の写真っていうのかな。

先日、高校時代の陸上部仲間のケケラに会った。
友人の結婚式以来だから、20数年ぶり。

昔からゴージャスな雰囲気だったけど、大阪の街に鍛えられた
せいか、ますますゴージャス度が増していた。

背中全体にド派手な柄を描いた黒のミニワンピ。
透け感のある、ゴージャスな花柄のレギンス。
ハットにデカメガネをかけて、指にはこれまたゴージャスなアクセ。

「今日は、これでも抑えてきたんよ」って、マジっスか…( ̄. ̄)

ケケラが帰ってくるってんで、集まった地元の仲間たちも、この
ゴージャスぶりに、すっかりご満悦。

やっぱり、ケケラはこうでなくっちゃ!

20数年間、年賀状のやりとりくらいだったのに、会った途端に
昨日も会っていたかのように話しがはずむのは、さすがは同じ
釜の飯を食った仲間。

いつか皆に会いたいね、と思っていたけれど、人生、いつどうな
るかわからない。いつか、じゃなくて、今会おう。

そう思ったのだそう。

昨年は、更年期障害が原因で、ウツになってしまった。
こんなに外に出ていくのが大好きだった自分が、朝、ベッドから
起きることができない。家から一歩も出ることができない。

こんなに派手好きな自分が、いつも同じ、地味~な服しか着る
ことができない。派手な服に袖を通すことができない。
なぜ…。なぜ…って、そんな自分が悔しくて、情けなくて、
ぽろぽろ涙がこぼれる。

ケケラは、自分からダンナ様に「病院に連れていって」と頼み、
治療を受け、そして今は、すっかり回復している。

自分を何とかしたかったんよ…とサラっと言うけれど、私たち
に語る言葉以上に、辛く、苦しい思いをしたのだろう。

とにもかくにも、私たちは、今、元気でいられる。
個々には、いろいろな事情があるにしても、こうして仲間達と
会うことができるのは、なんと幸せなことか。

翌朝、ケケラからメールが。
「今、湯布院。女ひとり旅~♪」

さぞかし、ゴージャスな一人旅をしたに違いない…( ̄- ̄)


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ジュワ~ジュワジュワ~

若いときは、少々食べすぎても、すぐお腹がすく。

豚肉と豆腐のスープを食べすぎた翌朝、オモニが私たちに聞いた。
「朝ご飯は、ご飯がいい? トーストがいい? 」
前夜、テンコ盛の紫ご飯をいっぱい食べた私は、即座に答えた。「トースト!」

しばらくすると、台所からジュージューという油のはねるような音が聞こえてきた。
目玉焼きかしら…。覗いてみると、フライパンの中で、卵が油に浮かんでいる。
目玉焼きというより、目玉揚げ?

目玉が揚がってからも、ジュージューという音は続く。
また、覗いてみると、さきほど卵が入っていたフライパンの中で、今度は食パンが
油に浮かんでいた。
フレンチトーストでないことは確かだけど、あれは揚げパン?

オモニが運んできてくれたのは、油のたっぷりしみ込んだ食パン2枚に、
油をたっぷり吸い込んだ目玉焼きをサンドしたもの。

両手でパンを持つと、指の間に油がジュワーっと浮き出る。
思いきってかぶりつくと、口いっぱいに、油がジュワジュワーっと流れ込む。
パンを食べるというより、油をすすっているという感じ。

しかし、私たちは、ひるむことなく食べた。
ジュワ~ジュワジュワ~。むしゃむしゃ。ジュワ~ジュワジュワ~。
ひたすら、食べ続けた。

日韓親善とか、そんなことは、まったく頭になかった。
オモニが、私たちのために、一生懸命に作ってくれたトーストだったから。
ジュワ~ジュワジュワ~。がつがつ。ジュワ~ジュワジュワ~。

食べ終わった後、私たちは油でギトギトになった口をぬぐいながら、
心からお礼を言ったのだ。「オモニ、マシッタ、マシッタ。」


その日、民泊を終えて集合した私たちは、互いの体験報告で、ハチの巣を
突いたような状態った。
ドナドナの牛のようにひかれていった砲丸投げの後輩は、会うなり、がっしりした
体をまる~くして、「先輩~つらかったぁ~」と泣きだした。
悪いけど、思わず、グッフッフと笑ってしまった。




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食べないと

クロストーク仲間のトクモッチが言う。
「イナバウワーのブログ、昔のネタいっぱいのせて…」

大きなお世話です。
というわけで、いにしえの釜山ホームステイ「夕食編」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ポッキー家の夕食。
私、後輩、ポッキー、オッパ、オンマの5人で食卓を囲む。

オンマが運んできてくれたのは、紫色のご飯。
ステンレス製の茶碗に、茶碗と同じくらいの高さの紫色のご飯がコテコテと、
丼飯のようにテンコ盛りになっている。

次に運ばれてきたステンレス製のスープ皿には、がっしりした豆腐と豚肉のスープ。
トウガラシの入っていないスンドゥブといったところ。
そして、山盛りのキムチ。
これらを、ステンレス製のお箸で食べる。
ご飯は、赤飯に似たような味…だったような気がする。

豚肉と豆腐のスープは、とても美味しくて、私はペロリと平らげた。
すると、オッパが喜んで、
「もっと食べなさい。母さん、おかわりをもってきておやり」(意訳)

スープ2杯目が運ばれ、これも、私はペロリと平らげた。
すると、オッパがまたまた喜んで
「おぉ、よく食べるね。もっと食べなさい。母さん、おかわりだよ。
 おや、ご飯もなくなったね。母さん、ご飯もおかわりだよ」(意訳)

ほどなく、3杯目のスープと、紫色の丼飯が運ばれてきた。
少々、満腹感を感じていたが、オッパやオンマ、そしてポッキーが、私の食べっぷりを
喜んでいると思うと、期待を裏切ってはいけないという責任感のようなものを感じて、
「わぁ~おかわり嬉しい~」という風を装い、完食。

すると、オッパが少し驚いた様子で
「ほぉ、まだまだいけそうだね。母さん、スープ4杯目だよ」(意訳)

このとき、さすがに日本語で言った。「もう、お腹いっぱいです」
しかし、4杯目のスープが運ばれてきた。

すでに食事を終えた後輩は、「イナバウワー先輩、いつまで食べるんですか」
という目で私を見ている。
違う。食べたいわけじゃない。でも、食べないと。ほら、日韓親善、日韓親善。

4杯目を食べ終えた私に、オッパが言う。「かあさん…」
私は慌てて、スープ皿に手でふたをし、英語で言った。「NO、NO、NO」

かくして、ようやく私の夕食が終わった。
ポッキーは、食事の間、ずっと楽しそうにニコニコしていた。


次回は「朝食編」。



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黄褐色の夕暮れ

下関と釜山を結ぶフェリー「はまゆう」が、航路開設40周年を記念し、名誉
船長の山本譲二さんを迎えた「ワンナイト洋上ライブツアー」を行うのだそう。
ライブには興味はないけれど、ウン十年ぶりに、釜山には行ってみたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

高校3年の夏。
私たち長府高校陸上部は、関釜フェリーに乗って釜山に行き、釜山の女子高校
陸上部と親善試合を行なった。

試合のことはトンと覚えていないのだが、その高校の生徒宅にホームステイ
させてもらった時のことは、ものすごく鮮明に覚えている。

親善試合が終わると、私たちは2~3人ずつに分けられ、ホームステイ先の
生徒を紹介された。
私と後輩の2人は、イー・ポッキーという美少女のお宅にお世話になることに。
今思えば、ポッキーは若い頃の吉永小百合さんに似ていた。顔も雰囲気も。

ポッキーは日本語を、私たちは韓国語を知らないが、3人はすぐに打ち解けて、
カタコトの英語とジェスチャーだけで、キャッキャッと笑い合いながら家路を
歩いた。

そういえば、砲丸投をしていた後輩。
不安げな表情で、まるで、ドナドナの牛のように別のホームステイ先に連れて
いかれていたっけ。

ポッキーの家は、学校から延々と歩いた山の中腹にあった。
瓦の門をくぐると中庭があり、その右隅に、私の背よりも大きな瓶がある。
生活に必要な水が蓄えられているらしい。

到着するなり、オンマ(お母さん)が、にこやかに私たちを迎えてくれた。
「シャワー、シャワー」
意訳すると、「暑かったでしょ。さ、シャワー浴びなさい」

私は、中庭の左側にある、裸電球の薄暗い倉庫(らしき場所)に通された。
オンマは、水の入った洗面器と、石鹸と、ひしゃくを1本置いて出ていく。

私は考えた。
これは、顔を洗えということか。それとも、これがシャワーということか。
私は、石鹸を使わずに顔を洗い、残りのしずくを、ひしゃくを使ってあち
こちにかけた。

夏。陸上の試合の後。しかも、山の中腹まで歩いて、さらに汗だく。
お風呂に入れないのは仕方ないとして、「ニホンジン、アセクサイ」と思
われたらどうしよう…。それが少し心配だった。

オンマが、トイレに案内してくれた。
「トイレはここよ。暗いから、落ちないでね」(意訳)

トイレは、シャワーを浴びた倉庫の隣の小屋。
電球はあったかもしれないが、真っ暗でよくわからない。
もちろんボットントイレだから、落ちないように、少しずつ歩を進める。
トイレットペーパーはあったかもしれないが、暗くてよくわからないから、
念のため持参していたティッシュを使う。
そして、私と後輩は、今日は絶対に“大きな方はしない”と決めた。

夕食までの時間、ポッキーは私たちを外に連れ出した。
山の中腹から見える、黄褐色に染まる夕暮れの港を、私たちは、立ったまま、
しばらくの間、黙って見ていた。


次回は「夕食編」


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プロフィール

バウワウ(因幡智子)

Author:バウワウ(因幡智子)
ある時は会社員、ある時はバンドのヴォーカル、ある時はボランティアのスタッフ、そしてある時はキャリア・イノベーション協会のアンバサダー☆
ポリシーは「人生を諦めない」(^.^)

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