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カップラーメン

震災記事


1995年2月9日。今から16年前の新聞記事。

この日。山口県社会福祉協議会が、阪神大震災の被災者救援活動
のために募集したボランティア24人は、マイクロバスに乗り、避難所
の一つとなっている鷹取中学校(須磨区)へと向かいました。

約1300人の方が避難する鷹取中学校。
学校にこられる地域被災者の方は、約1500人。

配給される食事は不足しており、朝はパンと牛乳。夜はおにぎり弁当。
お昼は炊き出しなどで、何とかまかなっている状況。

「お弁当が足りないんですけど…」
「すみません。数が足りなくて。分けて食べてもらえますか」
ということも、何度かありました。

そんな中、救援活動の一助になればと、多くの一般ボランティアの方が
来校されます。
被災者の皆さんからの要望を聞き、ボランティアの皆さんに仕事を割り
振るのが私の役割でした。

ボランティアの食事は、パン、もしくは、おにぎり。
運がよければ、カップラーメンにありつけます。
2月の寒空の下、あっかいカップラーメンはご馳走でした。
ひと仕事した後のお昼時、カップラーメンがあると、みんな本当に嬉しそう。

でも、あるとき…。

2人の年配の女性が「ボランティアです」と言って来られ、受付をすますと、
そのまま休憩用のテントに入ったまま、出てきません。

そしてお昼時、彼女たちは、カップラーメンを美味しそうに食べると、
そのまま帰ってしまいました。

翌日も、彼女たちはボランティアの受付はするものの、テントから一歩
も離れることなく、おしゃべりをして過ごし、お昼時にカップラーメンを
食べると、帰っていきました。

ボランティアの受付や、仕事の振り分けをしていた私が、彼女たちに
「こんな仕事があります」と何度か声をかけたにもかかわらず…です。

翌日もやってきた彼女たちは、案の定、テントでおしゃべりを始めました。

そして、お昼どき。彼女たちが、当然のごとく、カップラーメンに手を
伸ばそうとしたとき。私の怒りが沸点に達しました。

「ボランティアとして来られたのに、ろくに手伝いもしないで、お昼ご飯
だけ食べて帰るって、どういうことですか。」

すると、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした彼女たちは、その表情の
まま、カップラーメンを食べることなく、帰っていきました。

カップラーメン1個くらい、食べさせてあげればいいじゃないか、
とは思えなかった…。

今振り返っても、カップラーメン1個にこだわった自分を、「ちっせーヤツ」
と思う反面、やっぱり、あの状況で「タダ食いはないやろ」と思う。

カップラーメン1個が、あれほど貴重に感じられたことは、後にも先にも
鷹取中学校に滞在した、あの5日間だけです。

1995年忘れないこと①
1995年忘れないこと②
1995年忘れないこと③


DVC00211.jpg
おひとつ、いかが…。

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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

コメント

No title

こんにちは
震災時ボランティアで神戸へ来てくれてたんですね
有難うございました。
僕は就職するまで鷹取の近くに住んでいましたが
被災時はポートアイランドに引っ越してました。
当時の鷹取周辺は、終戦間近と思えるほど酷かった。

食事のトラブルも沢山ありました。
行列に並んでても、貰えなかったら
ボランティアの人に文句言ったり
ボランティアの人は、「俺達はこんな状況だから、食べれない
文句言われても、怒ることもできず我慢」
って話もよく聞きました。
被災者の甘えも、見え隠れした時期でした。

報道も悪い話はせず、美談をまとめ全体が混乱しないよう
各社報道統制して協力してました。

明日は1.17です。
日本が震災経験で良かったことを総括して
これからの社会に役立てればと思います。

長々とスミマセン!


No title

普段は気軽に食べているカップラーメンでもライフラインが止まってしまった寒空では体を暖める貴重品なのですね。

年配のおばちゃん達もおしゃべりが得意なら、被災して心細く思われている年配の方々のお話を聞いてくださるとかちょっとだけでも思ってくださればな~なんて思ってしまいました。

No title

自分が当事者でもバウワウさんと同じこと言いますね。
言って当然です。
当たり前です。
常識です。

そんな人は排除されて当然です。

No title

こんにちは~
貴重な体験なされたんですね。
なかなか、ボランティアもやるチャンスがないとできませんし、
手をあげて行くほど、自分にゆとりがありません。
このお2人のこと実情は何があったのかわかりませんが、
ちょっと驚きました。バウワウさんの思われたり、言われたこと
共感します。でもなんでだろう~。自分がしないことをしてる人の
心理がわからない。つい、なにか特別の理由があったのかと
かんぐってしまいます。
現場を知ることもいい体験ですね。
人間の色々な側面が見えてきます。

No title

働かざる者食うべからず。
言わんや、米粒ひとつの比重が2倍3倍に重いその時においては、です。

給料分の仕事をしようとしても“できない”場合はともかく、“やろうともしない”人間に食わすタダ飯はございません。

素晴らしい一喝だったと思います。

行かれてたんですね。

阪神大震災はこんな寒い時でしたから
本当に 暖かいものはありがたいですよね。
夫も行きましたよ!
びっくりして帰ってきました!
家にあるボンベやコンロも持っていきました。
お昼もどうしたのかは忘れてしまったけど・・・
現実をみて こんな態度とるなんて
許せん奴らですね!
バウちゃんが怒ってくれて すっきりしました。
いいことをしましたよバウちゃんは!
小さくなんて 全然ありませんです!
最後に 好き!(おうぇ~ですね 笑)

メタボ夫婦さんへ

ホントに、ここは日本なのか…と思うくらい、酷い
状況でしたね。

私は、5日間滞在しただけで、いってみれば旅人の
ようなもの。
被災された方々はもちろん、地元のボランティアの
方は、大変だったという言葉では片づけられないくらい、
大変だったことと思います。

16年、早いですね。



pekoさんへ

ホントにね。

学校は階段が多いし、たくさんの人がいるので、
運動不足のお年寄りが歩けなくなってしまうこと
もありました。

一緒に歩いてあげるとか、歩けない人の話し相手
になってあげるとか、できることはたくさんあった
のになぁ…と思います。






kumadaisukeさんへ

実はね。

他にも、「ボランティアです」とやってきて、プラプラして、
ご飯だけ食べて帰っていく人は、何人かいたんです。

でも、テントに入ったまま、おしゃべりだけしているのは
目に余るものがありました。

貴重なカップラーメン、食べちゃいけませんよね。

aaconeeさんへ

私が「神戸に行ってくる」って言ったら、家族が呆気に
とられてましたけど、よく行かせてくれたと思います。

あのおばちゃん達は、何を考えてたんでしょうね。

もしかしたら、被害にあわれた方だったのか…とも
思ったのですが、周辺被災者の方には、食事を配給
していたし。

だから、「あそこに行ったら、お昼ご飯が食べられる
のよ~」って思っていたのかなぁ…。

おばちゃん達の行動は、理解の外…です。

白面さんへ

>給料分の仕事をしようとしても“できない”場合はともかく、
>“やろうともしない”人間に食わすタダ飯はない。

白面さんの、マネジメント語録。
メモさせていただきます。v-290

Hanaさんへ

Hanaさんのダンナさんも、行かれたんですね。
ボンベやコンロ、現地で大活躍だったと思います。

ダンナさん、驚かれてたでしょ。
崩れ落ちたビルや家。
私も、この目で見ても、信じられませんでした。

おばちゃん達は、初日は「あ、どうも」と遠慮がちに
カップラーメンを受け取ってたんですよ。
まわりの人も、何もしないおばちゃん達が、気には
なっていたものの、黙認状態。

でも、3日目は、自らラーメンをとろうとしたので、
ついガツンと言ってしまいました。

好き…だなんて、いやあ、テレるなぁ…(笑)

No title

もう 16年前なんですね。当時 バスガイドをしてた私は
朝早く グラグラってした恐怖 いまでも 思い出すと
こわいです。

私も 同じ事思ったかも。でも なかなか 言う勇気もなく
ちっちゃくなってるかもしれない。。。

そんななか バウワウさん 頑張りましたね。
尊敬します。

No title

こんばんは。

あの時、こられてたのですね。
神戸、淡路も大変でしたが、大阪の一部も同様の状態になってました。
家が崩れることは無かったものの、水道、ガス、電気。
ライフラインが止まった状態を、初めて経験したのもこの時です。
たまたま、車で行ける距離にゴルフ場があり、
そこのお風呂は温泉が湧いてたので、
近隣住民の人達が数日おきに交代で使わせてもらってました。
携帯コンロのガスカートリッジも奪い合いでしたしね。

その当時を思い出すと、その怒りは当然のことだと思います。
僕からすると、小さくなんてない、大きな一言に思えます。
バウワウさんの様な方々がおられたから、頑張れたんでしょう。

ありがとうございます。

あぴこ★さんへ

あぴこさんも、恐い思いをされたんですね。
16年前たっても、消えない恐怖なんですね。
私には、想像もつかない恐さです。

ところで、あぴこさん、バスガイドされてたんですね。
あぴこさんのトークと歌。
乗客の皆さん、さぞかし楽しかったでしょうねv-290

ケロさんへ

ケロさんも、大変な思いをされたんですね。

私は、たったの5日間だけです。
たった5日で、被災された方の苦労なんて、
わかりっこないのですが、でも、あの時に
起こったこと、経験したことは、自分の中に
忘れずに残しておきたいと思うんです。

いや、正しいですよね

「ちっせーヤツ」じゃありません。
はっきり言うのが大事な時がある…言いにくくても。
それはきっとこんな時ですよ。と、私は思います。

そんなとき人間性が出るよね。

決してバウワウさんは小さくない!

そんな人見たり聞いたりすると
「地獄へ落ちろ~!」と叫んでしまいます。心の中で。


人間性が出てますね。神様仏様ゴメンなさい。

ちょっと長くなりますが・・・。

神戸の震災、わたしも実家が隣の明石で学生だったので
震災を体験した一人です。
神戸の長田地区ほどひどくは無かったですが、水道・ガス・電気が
止まってまったく自身の情報が入ってこない時間があったり、状況も
判らなかったりと不安なことがありました。
おかげさまで家族は全員無事でしたが、やはり、何名かの友人は
震災に巻き込まれなくなっています。
私はボランティアのお世話になることはなかったものの、姫路まで食料の
買出しや、水汲みなど自分たちのことで精一杯だったのを覚えています。
丁度大学の卒論の時期だったのですが、震災でデータが全部飛んだりして、
かなり甘々の卒論審査だったので無事卒業できたのはラッキーでしたけど(笑)
今では笑える話もたくさんありますが、その当時はその時その時を生きていくのに
必死だったような気がします。
ボランティアの方のありがたさも見ていてありがたかったですし、人とのつながりを
すごい感じた出来事でした。
でもボランティアに来たことで満足してしまって、何もしていない人もいたのは事実です。あと、「ボランティアに来てやった」って人も。
たくさんの人に助け、助けられたことにありがたさや暖かさを感じながらも
少し寂しい思いも、被災者の人たちはしていたんだと思います。

あれからもう何年経つんでしょうか。私自身の体験はもう忘れつつあります。

まだまだ、震災の傷跡は残っています。みんなで頑張って復興をすすめていきましょう!!

バウワウさんの喝!

いちげきの一喝、いいですね~
災害の中、こんな方がいるなんって
残念ですね。
ほんとうに自然の災害だけは
かなわないですね。

いずきちさんへ

うん。言いにくかった。

でも、それ以上に「なんじゃ、こりゃ~」と思った。

はっきり言うのが大事な時…だったんですね。

ぽよんさんへ

ぽよんさん。
顔に似合わず、凛々しいよね。v-290

頼もしいよ~。

おくぴーさんへ

その時を生きていくのに、必死だった…。

大変な思いをされたんですね。
でも、ご無事でよかったです。本当に。

あのときを機に、ボランティアのあり方が問われる
ようになりましたよね。

16年の時をへて、何が、どのように変わったのか、
どのような仕組みができたのか、できていないのか。

もっと、私たちの目に見えるようにできないものかと
思います。

ねぇーねぇーさんへ

もっと残念なこともあったんですよ。

残念で、悔しくて、社協の人たちと、男泣き(女泣き)
したことも…。

でも、結束することの素晴らしさも味わうことができました。

自然の力には逆らえないから、それに立ち向かうには
人と人が結束するしかないのかなぁ…なんて思ったり
します。

Secret

プロフィール

バウワウ(因幡智子)

Author:バウワウ(因幡智子)
ある時は会社員、ある時はバンドのヴォーカル、ある時はボランティアのスタッフ、そしてある時はキャリア・イノベーション協会のアンバサダー☆
ポリシーは「人生を諦めない」(^.^)

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