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チルソクの夏

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数年前、「チルソクの夏」という映画が、下関で話題になった。

「チルソクの夏」をご存じない方のために…。

1977年7月7日。
姉妹都市である下関と釜山の間で行なわれた親善陸上競技
大会をきっかけに友情を深めた日韓高校生の淡い恋。

携帯もメールもなかった時代。
日本の歌を歌ってはいけなかった時代。

韓国語で七夕を意味する「チルソク」は、そんな時代に生きた
人物一人一人が抱いた想いの強さを象徴している。

(映画「チルソクの夏」下関公式後援サイトより抜粋)

とまぁ、こんな内容。 p(^ ^)q


1977年といえば。

当時、私は高校2年。
長府高校の陸上部で、毎日、真黒になってグランドを走っていた。
走り高跳びだったから、「飛んでいた」 というべきか…。

そんなある日、陸上部の顧問の先生から声をかけられた。

「イナバ、お前、韓国の陸上選手と文通せんか。日本の選手と
 情報交換したいって、言うてときとるんじゃ」
「え~、私、韓国語、全然わかりませんよ~」
「大丈夫、彼のお父さんが日本語ペラペラやから通訳してくれる」

そんなこんなで、私と→お父さん経由→彼との文通が始まった。

今のようにケータイなどない時代。
手紙を出して、その返事がくるまでに1か月かかることはザラだった。

手紙の内容は、ほとんど陸上の話ばかり。
そりゃそうだろう…。お父さんが通訳なのだから。。。(-.-;)

そんなこんなで約1年後。

私は、釜山で行われた陸上親善試合で、ハードルの選手として
出場していた彼に初めて出会った。

さわやか系の好青年だった。。。
よかった。。。好青年で。。。(♯^.^♯)

そりゃそうだろう…。
たとえ、特別な思惑がないにしても、もし、期待したほどでも
ない相手であれば心境は複雑だったに違いない。

私は彼と一緒に釜山の町を歩き、一緒に食事をし、ひとときの
韓国滞在を楽しんだ。 お父さん同伴で。。。

滞在期間が終わり、私が下関にもどる日。
彼は、港まで見送りにきてくれた。…お父さんはいなかった…。

私 「アンニョン ケセヨ」
彼 「サヨナラ」

お互い、もう会うことはないだろうと思いながら、
私は船の上から、彼は岸壁から手を振り、そしてお互いが見えなく
なった。


今、思えば…。


彼からの手紙は、毎回、3~4枚はあった。
お父さんが通訳していのだから、非常に丁寧な、流暢な日本語で
とても、学生と思えるような文章ではない。

そこで、ふと疑惑が頭をもたげる。。。

彼は、本当に手紙を書いていたのか。
お父さんは、本当に通訳していたのか。

もしかしたら、私は、お父さんと文通していたのではないのか。。。。( ̄▽ ̄;)

ウン十年ぶりに、頭をもたげた疑惑。
しかし、真実を知る術は…もう…ない。


写真は、釜山で彼から(というか、彼のお父さんから)プレゼントされた
 チマ・チョゴリを着て、船から「サヨナラ」した若かりし頃の私。




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テーマ : 今日のつぶやき
ジャンル : 日記

コメント

可愛い!

凛々しい陸上界の美少女~(褒めて育てる友の会 笑)
いや でも可愛いよ!上野樹里ちゃんに似てる~
最後の船のさよならはなかなか切ないね~(;;)

褒め合う会代表

BBBのユカタン。
たまたま写真整理した出てきたんよね。懐かしの写真。
船の別れは、ユカタン好みの「切ない系」でおススメです。
相手が誰でも、切なくなれる優れもの…?!
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プロフィール

バウワウ(因幡智子)

Author:バウワウ(因幡智子)
ある時は会社員、ある時はバンドのヴォーカル、ある時はボランティアのスタッフ、そしてある時はキャリア・イノベーション協会のアンバサダー☆
ポリシーは「人生を諦めない」(^.^)

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